どうして海外でサッカーをしようと思ったのか?
『なぜ、大学サッカーではなく海外留学を選んだのか』
高校3年生の4月。次の進路を決める時期に私には3つの選択肢がありました。
①大学に進学して4年間部活動としてサッカーを続ける。
②サッカーを辞めて国立大学に入る。
③海外でサッカーをして自分の可能性に賭けてみる。
どれを選んでも私にとって充実した人生経験になると思っていました。しかし、歳をとるにつれて人生の選択肢はどんどん狭まって行くということを周りにいる先輩たちから学んでいました。自分の進路は慎重に考えないといけない。
だから私は、1年後、2年後、の自分の姿を想像して自分がどんな顔をしているのか。どんな気持ちで毎日を過ごしているのかを考えることにしました。その時の自分が生き生きと人生を楽しんでいられるような未来にしたかったからです。
私はサッカーが大好きです。
3歳の頃から幼稚園のサッカークラブに入団し毎日友達とボールを追っかけてその時からすでにサッカーの楽しさの虜になっていました。父は野球をやらせたかったようですがバットやグローブには見向きもせずただ白と黒のボールをゴールに決める。
サッカーが楽しくて仕方ありませんでした。
小学校に上がる頃、当たり前のように地元のサッカー団に入団し相変わらずサッカーに明け暮れる毎日でした。そんな私が将来、プロサッカー選手になりたいと感じるようになるのにそう時間はかかりませんでした。
テレビや大迫力のスタジアムでサッカーができて、サポーターの方々にエールをもらいながらプレーをする。そんな光景に憧れると同時にそこが私の目標になっていました。
そんな大それた夢を18歳になっても心に抱いていました。
プロサッカー選手になりたい
心の中の一番素直な気持ち。この気持ちがあったから私にはサッカーを辞めるという選択肢はありませんでした。
高校であまりいい成績を残せなかった私はプロからの声は微塵も届かずそのまま一貫の大学に進学してサッカーを続けるのかなと思っていました。
しかしその大学の先輩から話を聞きに行った時とても残念な気持ちになりました。100人をゆうに越える部員の多い大学サッカーでしっかり見てくれる指導者はいないということ。
学業にも手を抜かず専念しないといけない。
その上周りの友達は髪を染め、バイトをし飲み会に参加するなど楽しそうな大学生活を横目に朝から夜遅くまでサッカーをする。
こんな中で心を折らずまっすぐ努力し続けられる人間が果たしてどれだけいるのでしょうか。
環境は人間が変わる大きな要因の一つです。私は大学は自分を高めあえる人たちの集まりかと思っていました。しかし実際は遊び呆けて二日酔いで練習にきたり課題に追われ睡眠不足の状態で練習に来るなど想像とはかけ離れた現実が待っていることを知りました。
これを4年間続けて何が得られるのか、、、
そんな中、高校の指導者の中で海外経験を持ちプロではないけど給料をもらいながらサッカーをしていた先生に話を聞きに行きました。実際に大学を卒業してから諦めきれず海外に挑戦しに行く選手も多いようで先生もその中の一人でした。
自分からチームに練習会に参加し実力が認められればそのチームでプレーできる。
みんなが上を目指し、試合で評価されれば上のチームから声がかかる。
安いがサッカーで給料を受け取れて、勝利給がもらえる。
それは日本では到底考えられない、サッカーを文化として受け入れている海外だからこそできる物でした。
こんな世界があるのかと私は衝撃を受けました、そして自分が求めていた事とぴったりリンクしたことで私の気持ちは一気に海外に向かって行きました。
もちろんうまく保証なんてどこにもありません。言語は違うし、家族とも離れしまう。ぽっとでの日本人に見向きもされないかもしれない。でも、そんな厳しい環境で自分の夢を追うことに集中できて周りの人とも高めあうことができる。何より本気で自分の叶えたい夢に向かって毎日を過ごせるということにとても魅力を感じました。
自分の可能性に賭けてみたい。
この時私の心は決まりました。
海外に出て自分を鍛え、そして本気で夢を追いかけよう。
これがドイツ蹴球記の始まりとなりました。
拙い文章でしたが読んでいただきありがとうございます。うまく伝えていけるか正直不安ですが自分なりに頑張ってこのブログが誰かを勇気づけたり、何かの手伝いになることができたらそれは私にとってとても幸せなことです!
皆さんの毎日がHappyでありますように。 Viel Glück